facebook連載短編小説1   
ペガサスの舞い降りるテラス                                                                                  
 
               原作 湾田船夫(山本 守)
 
 
 
 昔のキャンプ仲間なら良く知っている話だが‥‥‥。甘やかし過ぎて兄2人の教育に苦労した私は、3人目こそ厳しく育てようと思った。小学校1年の秋、その娘が遠慮そうにプレゼントをねだってきた。
「誕生日にペガサスを買ってほしい。」
困った私は、コロラド州で牧場を経営する友達に国際電話をした(ふりをした)。私の特技は空電話。電話が通じていないのにあたかも相手がそこにいるように、即興で話ができる特技だ。 

「ハ~イ、トーマス?ハウドヨドー。ウッジューギブミーアペガサス?(中略)‥‥‥‥オーサンキュー!!」
そして娘に報告した。
「お父さんの友達のトーマスがアメリカで牧場をしていて、ちょうど先週白いペガサスが産まれたところだって。でも、空を飛べ
るようになるまでに3年ほどかかるらしい。それまで待てるかって聞いてるよ。もし待てないならピグサス(羽根の生えた豚)がもうすぐ飛びそうだからそっちをあげるよ、だって。」
 娘の答えはもちろん3年後のペガサス。それからというもの、娘は学校でも友達みんなに自慢したそうだ。ところが、このささやかな嘘が娘と私の間に、意外な未来を連れてくることになる。
                            
《コロラドからの手紙》
 1年が過ぎた。ある日娘が泣きながら帰ってきた。新しくできた友達にペガサスのことを話したら、
「そんなものいない、おまえは嘘つきだ。」
と言われたらしい。
「お父さん、本当はいるよね。」
泣きじゃくりながら同意を求める無邪気な天使に、私は同意した。
「お父さんが嘘をついたことがあるか?ペガサスはいる!サンダースの牧場に本当にいるんだよ。今度写真を送らせるからね。」
 
 牧場主の名前は微妙に変わっていたが、娘は泣き止んだ。しばらくしてコロラド州から全部英語の手紙が届いた。私が丸一日かけて作った合成写真が同封されていた。商売柄、実にうまくできている。光る海、光る大空、光る大地(合掌)、ロッキー山脈の麓でサラブレッドと戯れるペガサスだ。なぜか映画「タイタンの戦い」に出てくるそれにそっくりだった。喜んで、学校に写真を持ってゆくと言う娘に私は言った。
「友達に自慢するのはやめなさい。友達だってペガサスがほしくなるだろ?真実は自分が知っていればそれでいいんだよ。」
納得した娘はそれ以上友達に自慢するのをやめた。でもその代わり、大変なお方に写真を見せてしまったのだ。そう、あの人に!                                                       
《ペガサスのためのバルコニー》
 あの人とは担任の先生。「先生あのね、教室のみんなには内緒だけれど、お父さんが本物のペガサスを買ってくれたの。まだ赤ちゃんだけどもう3年したらアメリカからお空を飛んで私んちに来てくれるのよ。見て、写真もあるのよ。」
 ありがたいことに、その先生は娘の夢を壊さなかった。
「すごいわねえ、岡山に到着したら先生も乗せてね。でも、どこで飼うの?そんな部屋あるの?」

 その年、我家は新築。娘への償いの意味も込めて、表の道から見えない3階の屋根裏の一角に“ペガサスが舞い降りるための広いバルコニー”を設計に加えた。それこそが今も我社の屋上にあるペガサステラスの起源なのだ。
 「いいかい、ここから空に飛び立つんだ。でも危ないからペガサスにしっかりしがみついて飛ぶんだよ。」少女の夢は大空高く舞い上がっていった。                                        
 その夜、白い子馬のペガサスに乗って空に舞い上がる夢を見た娘だったが、同時に、ペガサスから落ちる夢も見たそうだ。子馬ははしゃぎまわるので安心して乗っていられない、ということで馬に乗る練習がしたいと言い出した。
 当時のダイイチ電機にナショナルの「ジョウバ」を買いに行ったが、あまりの高さに尻込み。結局、西市交差点にあったベスト電器の笹山という名の店長に頼み込んで「ロデオボーイⅡ」を安く売ってもらった。最初は喜んだ娘だったがすぐに乗らなくなった。
「やっぱり本物の馬がいい。」
そういえば、あのロデオボーイはどこへ行ったのだろうか?

 結局月に一度、娘は乗馬教室に通うことになった。教官は厳しかったが、ペガサスを乗りこなすという目的の前に、娘は歯を喰いしばってがんばった。教官は聞いた。
「お嬢ちゃんはどうしてお馬に乗りたいの?」
「私が4
年生になったら、お父さんが買ってくれたペガサスが届くから、それまでにせめてお馬には上手に乗れるようになりたいの。
教官は返す言葉もなかったらしい。
 さて、その年の秋、父は3度目の苦境に立たされる。娘の描いたペガサスの絵が、世界児童絵画コンクールの金賞に輝いたのだ。 

《私の家族》
 その絵は、まだ柔らかなままの小さな褐色の翼を乾かしながら丸くなって眠る子供のペガサスだ。絵の表題は「わたしの家族」。言わば父の嘘から生まれた偉大なる副産物だ。私は言いようの無い罪悪感にさいなまれた。金賞は全部で4点。ブラジルや中国からも選ばれ、描いた子供は親とともに遥か日本まで招待された。日本から選ばれたもうひとつの絵のタイトルは「ゾウさん、パオーン」。

 これらは一枚ずつ幅2メートルほどの陶板に焼き付けられ、兵庫県立子供の館の芝生の広場に永遠に飾られる。ということは、後悔の呪縛から、私も永遠に解放されることはないのだ。その絵がせめて「子猫」の絵であってくれたならどんなにほっとしただろう。

 除幕式。兵庫県副知事、教育関係者、地元の小学校の楽団など、300名の観衆の前で司会者は聞いた。
「この絵は何の絵ですか?」
青ざめて見守る家族の前で、娘は答えた。
「今度うちにやって来ることになったペガサスです。」
「へーっ、凄いねえ、どこから?」
「アメリカです。」
 沸き起こる拍手と微笑ましい笑い。ここでも教育者たちは寛容だった。
 乗馬教室でこの月の終わりに、娘はギャロップと方向転換を覚えた。反抗期を前に、私との関係も方向転換か?

《キキのほうき》
 ハリウッド映画「E.T.」に対して面白い解釈がある。この映画では、さりげなく両親の離婚劇が背景で語られている。両親の離婚をどうしても受け入れることのできない主人公、エリオットの気持ちそのものが「E.T.」の姿を借りて出現しているのだと。やがて一連の出来事を経て成長したエリオットが両親の離婚を受け入れたとき、「E.T.」は去ってゆく、という解釈だ。

 岡山市東区西大寺の五福通りのロケが話題を呼んだ「魔女の宅急便」。キキは大人になるにつれ空を飛べなくなる。ほうきは「夢」や「冒険」の象徴だ。誰もが現実を受け入れながら少しずつ大人になってゆく。

 さて、娘が魔女のほうきを棄てるときがやってきた。父の嘘に気付いた娘がどう反応したか?実ははっきりとした反応しなかったのだ。それもそうだ。この手の嘘と言うものは頭脳の発達と共にゆっくりとゆっくりと気付いてゆくものだろう。完全に嘘だと気付いたとき、そんなありえないことを信じてきた自分が恥ずかしくて、怒るどころではなかったろう。
 小学4年にもなればサンタさえ信じなくなるというのに、娘はペガサスを信じ続けている振りをし続けた。

「ペガサスの到着、とうとう来年の私の誕生日だよね、名前考えとかないとね。」
「また絵を描いたよ。今度は大人のペガサスだよ。」
 茶目っ気たっぷりに私をからかっている娘だが、怒ったりすねたりしている様子は無い。

《約束の日》
 従姉妹の誕生、祖父との別離、季節ごとのキャンプ‥‥いろんな経験を積んで、ついに5年生になろうとする娘の誕生日がやって来た。夕食時、家族でささやかな誕生会。もちろん場所は3階の「ペガサステラス」だ。待ったなし!どうする父?
 上品な家なら洋食のバイキングかもしれないが、あいにく我家のテラスでは洋食ならぬ「養殖」ハマチの手巻寿司が精一杯。ケーキのろうそくを吹き消した娘に、いよいよ誕生プレゼントが披露される。私の気持ちを汲んで妻が用意したのは、何と真っ白い子猫だった。
「翼の代わりにひげの生えたペガサスよ。」
思わぬ変化球にそれでも娘は大喜び。猫は「ペガサス・ルル」と名付けられた。褐色の「リリ」に続く我家で2匹目の猫だ。陽が落ちて、ペガサステラスの上にひとつずつ星が輝き始める。児島湾の波がキラキラと夕日に映えて輝くのが見えた。

 ルルは私とは気が合わず犬猿の仲になったが、もう一匹のリリと共に長生きしている。乗馬はとっくにやめた娘だが、中学校、高校ではテニスに夢中になり、キャプテンも務めた。
 幼さの残るボーイッシュな声は、父の経営する放送制作スタジオでも重宝され、何度もCMのナレーションを担当、父が作ろうとしていた映画の予告編では視覚障害者用の副音声を見事にこなした。
 高校3年になってから、急に大学で絵を学びたいと言い出し、私と進路の先生を慌てさせた。たまたま、後藤という口髭の似合う美術の先生が手を差し伸べて下さり、どうにか国立大学に合格することができた。
 
 惜しくも合格は叶わなかったが岡山大学のAO入試で大学に提出した絵には、ペガサス・ルルを主人公に「空飛ぶ猫」が描かれた。絵の題は「猫たちのシャングリラ」。
 その春、私は高校のPTAの会長として娘の卒業式の壇上に立った。
「卒業生の皆さん、保護者の皆さん、未来はどこにあるかご存知ですか?」
真剣に考える保護者の前で、私はポカンとする卒業生を指差して言った。
「今日ご卒業されるあなたたち、あなたたち自身が未来そのものなのです。」

 ひとつだけ、未だに不思議なことがある。大学に行った娘の留守に、12年ぶりに訪れた「兵庫県立子供の館」。金賞をもらったあの陶板のペガサスが何と、知らぬ間に子猫と入れ替わっているではないか。会館に問い合せたが、描き換えた記録はないし昔から子猫の絵だったという。狐につままれたような顔で妻も係りの人に食い下がった。
「そんなはずはありません。だって、私も夫もその場にいて、除幕まで手伝ったんですから。」

 これ以上言うと娘の手柄に傷が付く。しかたなく山陽自動車道を帰路に付いた。助手席で何度も天を仰いで不思議がる妻に、私は確信を持ってつぶやいた。
「もういいじゃないか。大学を卒業し、今まさに社会に飛び立とうとする娘を乗せて大空を舞うために、ペガサスはこの絵から飛び立ったのさ。」  

                                     完

 

 

 

 

 

 

                     ペガサステラス

 

 

 

 

 

 

 

画家のナンシーとシアトル美術館「SAM」にて

 

 

 

 

 

 

スミコ・グレッグファミリーと

ベルビュー公園

 2013年秋、元気に動き回っていたルルでしたが、急にパタンと横に倒れて帰らぬ猫となりました。享年16歳は猫の世界では長寿です。次の日、九州から娘も駆けつけ、ささやかなお別れをしました。我家(通称千里美術館)には今でも、一番広い壁の真ん中にルルの50号の絵「猫たちのシャングリラ」が飾られています。

 2014年春、娘は岡山に帰り小学校の臨時教師として働き始めました。九州のアパートからの引越しは困難を極めました。なぜならその荷物のほとんどは8枚の巨大な猫の油絵だったのです。 

 1枚、大学に保管していただく絵だけはさすがに猫の絵ではなく、娘自らの自画像でした。でもその自画像の口元には、とんでもないものがくっきりと描かれていました。猫のトレードマークとも言うべき、ピンと伸びた6本のひげは、人生の試練を敏感に潜り抜けるための、彼女ならではの触覚なのです。